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思想

そのアプリは、あなたを"反省させる"ように作られている

家計簿もタスク管理も健康アプリも、開くたびに少し気が重くなる。それはあなたの意志が弱いからではなく、そう感じるように設計されているからです。"反省させる技術"がなぜ標準になり、なぜ静かに失敗するのか。そして同じデータから作れる"観察する技術"との違いと、「それは監視では?」への答えを書きます。

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連載「責めない・観察するテクノロジー」の第2回です(第1回: 家計簿は、節約の道具じゃない)。その前段となる「AI時代の分かれ道」3回シリーズ(① 情報には2種類ある/② 情報疲れの正体/③ もう一人の自分を育てる)もあわせてどうぞ。

家計簿を開くと、なぜか少し、気が重い。タスク管理アプリを開けば、未完了が目に飛び込んでくる。健康アプリは、「目標まであと◯歩」と、足りなさを教えてくる。便利なはずの道具を開くたびに、ほんの少し、責められたような気持ちになる。この感覚に、心当たりはないでしょうか。

最初に、はっきり言ってしまいます。それは、あなたの心が弱いからではありません。そう感じるように、作られているからです。

"反省させる設計"は、こんな顔をしている

世の中の多くのアプリには、共通する設計の癖があります。「あなたに"足りない"を突きつける」方向に、最適化されているのです。予算を超えると赤字で警告が出る。続けた日数が「ストリーク」として表示され、途切れると消える。「今日もがんばりましょう」という通知が朝から届く。未読や未完了が、赤いバッジでカウントされていく。

どれも便利な機能に見えますが、その多くは「あなたが何かをサボっている/足りていない」と感じさせることで、行動を促そうとしています。たとえば、何日も続けてきた記録が、一日忘れただけで「連続記録が途切れました」と消える、あの小さな敗北感。あるいは月末に開いたら、いくつかのカテゴリが赤く染まっていて、まるで通知表を見せられているような気持ちになる。どれも、あなたを助けるためというより、あなたに"できていない"を自覚させるための演出です。

なぜ、こういう設計が標準になったのか。それは、「危機感や罪悪感は、人を動かす」と信じられているからです。たしかに短期的には効きます。「使いすぎ」と言われれば、その月は少し、財布の紐が締まるかもしれない。でも、長い目で見ると、これは静かに失敗します。

人は、否定される場所から離れていく

理由は単純で、人間の脳は、嫌な気分になる場所を避けるように、できているからです。

開くたびに「足りない」と言われるアプリは、だんだん開かなくなる。これは意志の弱さではなく、ごく自然な反応です。運動アプリを意気込んで始めたのに、二週間で開かなくなった経験はないでしょうか。あれの多くは、三日サボったあたりで「目標から遅れています」と言われ、開くのが少しつらくなったからです。サボったことより、サボったと突きつけられることのほうが、人を遠ざける。楽しい場所には人が通い、責められる場所からは、足が遠のきます。

ここに、皮肉な逆転があります。ユーザーを"動かそう"として作られた設計が、結局、ユーザーを"去らせて"しまう。以前、お金の使い方は、いちばん正直な自己紹介だという話を書いたとき、私は「責めない記録のほうが、結局は続く」と書きました。続くからこそ、データが貯まり、自分のことが見えてくる。**責めない設計は、ただの優しさではなく、"自己理解が続くための条件"**なのです。逆に言えば、"反省させる技術"は、人を動かす力と引き換えに、その人がいなくなるリスクを、最初から抱えている。

おまけに、責められて続かなかった人は、たいてい「自分は意志が弱い」と思い込みます。本当は設計のせいなのに、自分のせいにして、また別の"反省させるアプリ"を探しにいく。この繰り返しの中で、いちばんすり減っていくのは、自分への信頼です。続かなかったのはあなたのせいだ、という思い込みまで、ついでに置いていく。罪が重いのは、そこだと思います。

同じデータでも、"観察する技術"は作れる

ここに、大事な分岐があります。まったく同じデータを持っていても、姿勢が正反対のものが作れる、ということです。

具体的にしてみます。「先月より外食が2万円増えています」と赤字で出すのが、反省させる技術。「今月は、外で食べる時間が、いつもより多めの月でしたね」と、色をつけずに置くのが、観察する技術。事実は、まったく同じです。違うのは、あなたを責めるか、あなたに見せるか、それだけ。でも、受け取ったあとの気持ちは、まるで違います。前者は、あなたに足りなさを教える。後者は、あなたに自分を見せる。判断は、あなたに残したまま。

私はこれを、"観察する技術"と呼んでいます。観察する技術は、静かです。命じないし、急かさない。月に何度も通知を飛ばさない。ただ、あなたが見に来たときに、「今月のあなたは、こうでしたよ」と、鏡のように差し出す。そして、それをどう受け取るかは、あなたに委ねる。

「それは、ただの"監視"では?」への答え

ここで、当然の疑問が出てきます。「自分のデータを集めて、自分のことを把握する存在——それって、結局"監視"と何が違うの?」と。とても大事な問いなので、正面から答えます。

監視と観察は、データを集めるという一点だけ見れば、よく似ています。でも、目的が正反対です。監視は、相手を「管理し、予測し、誘導する」ために行われます。主役は、見る側の都合。あなたを、見る側が望む方向へ動かすために、データが使われる。観察は、相手を「理解する」ために行われます。主役は、見られる側=あなた。集めた情報は、あなたがあなた自身を知り、あなた自身で判断するために使われる。

同じカメラでも、誰のために向いているかで、まったく別物になります。身近な例で言えば、同じように部屋の音を聞くスマートスピーカーでも、「何を買わせるか」のために聞いているのか、「あなたの暮らしを楽にするため」に聞いているのかで、まるで違う存在です。問題は、聞いていること自体ではなく、何のために聞いているか。さらに、監視は隠れて集め、本人に中身を見せません。観察は、本人に開かれている——何が集まっているかをあなたが見られて、止めることもできる。データの主導権が、あなたの側にあるか。これが、監視と観察を分ける、もう一本の線です。

テクノロジーには、2種類ある

ここまでの話を、ひとつにまとめます。テクノロジーは、大きく2種類に分けられます。あなたを**"変えようとする"ものと、あなたを"理解しようとする"もの**です。

前者は、反省させ、急かし、最適化のために人を動かそうとする。たとえば、滞在時間を伸ばすために次々おすすめを差し込んでくるアプリや、未達をカウントして急かすトラッカー。後者は、観察し、待ち、判断を本人に返す。たとえば、頼んだときだけ静かに調べてくれる相棒や、見に行ったときだけ「今月のあなた」を映す記録。私たちの一日は、いつのまにか、前者でびっしり埋まっています。

前に書いた情報疲れも、元をたどれば、"変えようとする"情報に、毎日せっつかれ続けた結果でした。よかれと差し出される提案も、命令の色を帯びた瞬間、断るのに体力が要るようになる。"理解しようとする技術"が静かなのは、性能が低いからではありません。あなたを疲れさせない、という、設計上の選択です。

なぜ"観察する技術"は、これまで少なかったのか

そんなにいいものなら、なぜ世の中は"反省させる技術"だらけなのか。理由は、はっきりしています。観察する技術は、短期的な数字を、ほとんど動かさないからです。

人を急かし、罪悪感で動かせば、その月の利用回数や購入額は、たしかに上がる。一方、静かに見せるだけの設計は、すぐには数字に出ません。効いてくるのは、半年、一年と続いたあと。作る側からすると、成果が見えにくく、忍耐の要る選択です。だから多くのサービスは、つい"動かす"ほうへ傾いていく。これは誰かが意地悪だからというより、短期の数字を追う構造が、そちらを選ばせてしまう、という話です。

逆に言えば——"観察する技術"を選ぶことは、その構造に、静かにあらがうことでもあります。すぐに数字が出なくても、その人が長く自分を理解していける道具を作る。地味ですが、私はそちらに賭けたいと思っています。

念のため言えば、これは「数字を追うのが悪い」という話ではありません。ただ、短期の数字だけを見ていると、人をすり減らす設計に、知らず知らず傾いてしまう。だから時々、立ち止まって「これは本当にユーザーのためか」を問い直す必要がある、というだけのことです。

静かな技術は、地味だけれど、思想だ

観察する技術の作り方は、びっくりするほど地味です。責めない。急かさない。通知を増やさない。データは本人のものにする。気づきは"置く"だけで、命じない。派手な機能は、ひとつもありません。

むしろ、観察する技術の腕の見せどころは、何を足すかではなく、何を我慢するかにあります。ここで通知を出したら効くだろう、ここで「もっと」と言えば動くだろう——その誘惑を、ぜんぶ手放す。引き算でできているのです。私自身、家計簿アプリ(HubWallet)を、まさにこの"観察する側"の発想で作っています。赤字で責め立てず、ただ「あなたの今月」を差し出す。地味ですが、ここは絶対に譲れないところです。

おわりに

次に、何かのアプリを開いて、ほんの少し気が重くなったら——それを、自分のせいにしないでください。それはたぶん、あなたの弱さではなく、そのアプリの"設計"です。あなたを動かすために、足りなさを突きつけるように、作られている。

そして、気づけることには、力があります。「これは、私を動かそうとしているな」と分かった瞬間から、その設計は、あなたへの効き目を半分失います。仕組みが見えれば、もう、ただ流されるだけの側ではいられなくなるからです。

コツは、小さな違和感を、見逃さないことです。便利なのに、なぜか少し疲れる。役に立つはずなのに、開くのが億劫になる。その違和感は、たいてい正しい。あなたの感覚は、「これは自分のための道具か、それとも自分を動かすための道具か」を、言葉にする前から、ちゃんと感じ取っています。

世の中には、もう一つの作り方があります。あなたを変えようとせず、ただ、あなたが自分を理解するのを、静かに手伝う技術。あなたはいま、どちらに囲まれているでしょうか。一度、手元のアプリを、その目で眺めてみてください。


次回は、この連載でいちばん大事にしている一線——「相関は見せる。でも"減らせ"とは言わない」の話を書きます。

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